二足の草鞋で、物語を編むということ
昼は会社に身を置き、肉体と精神をすり減らして戦う会社員。夜はモニターの青白い光を浴び、自分だけの物語を紡ぐ書き手。そんな「二足の草鞋」を履き始めて、もう数年が経つ。
小説投稿サイトに自作を公開する楽しみは、何物にも代えがたい。しかし、現実は甘くない。生活の基盤である「仕事」と、魂の救いである「執筆」。この両立は、常に綱渡りのような緊張感を伴う。
繁忙期、筆が止まる「絶望」への処方箋
最も苦しいのは、仕事が繁忙期に入り、物理的にも精神的にも執筆の余裕が消える時だ。帰宅しても指一本動かす気力がなく、積み上がる「未更新」の文字。書きたい衝動があるのに体が追いつかないもどかしさは、時に自己嫌悪へと変わる。
そんな時、私は「書かない自分を許す」ことにしている。
無理に書こうとすれば、描写は荒れ、リズムは崩れる。それは愛する物語に対する不誠実だ。代わりに、私は「ネタ帳」だけを傍らに置く。通勤電車や昼休み、わずか数分でもいい。一文を書くのではなく、次に書くべきシーンの「感情のキーワード」をメモする。
- 「風が冷たい、後悔の味」
- 「拳を握る、その強さは震えるほどに」
これだけでいい。プロットを動かそうとするのではなく、キャラクターの心に寄り添うことだけを続ける。すると、いざ繁忙期を抜けた時、蓄積された「感情のストック」が一気に物語を加速させてくれる。「休筆」ではなく「充電」。そう定義を変えるだけで、心はぐっと軽くなる。
「PVゼロ」という荒野で、正気を保つために
丹精込めて書き上げた一章を投稿し、数時間後に管理画面を開く。PV数は「0」。この数字は、書き手の心を静かに削っていく。
読まれない。評価されない。自分の言葉は誰にも届いていないのではないか。そんな孤独に打ち勝つ唯一の方法は、「最初の読者」である自分を徹底的に満足させることだ。
そもそも、私が筆を執ったのは、どこにも存在しない「私が読みたかった物語」を作るためだったはずだ。他者の評価を基準に置いた瞬間、創作は苦行に変わる。まずは、読み返した自分が「やっぱりこの描写はいい」「このセリフは彼らしい」と悦に入ること。
自分の作品の「熱烈なファン」に自分がなる。その熱量は、いつか必ず画面の向こう側の誰かに伝播する。PV数はあくまで「タイミングと運」の結果であり、作品の価値そのものではない。そう割り切る強さが、書き続けるためには必要だ。
交流の場、戦場としてのSNS「X」
孤独な執筆活動において、X(旧Twitter)は諸刃の剣だ。他作家の「重版出来」や「ランキング上位入賞」の報告に、焦燥感を抱くこともあるだろう。しかし、使い方次第で、これほど心強い味方はいない。
- 「進捗」の可視化: 「今日は500文字書いた」という報告に「いいね」がつく。それだけで、会社員としての孤独な戦いに仲間がいることを実感できる。
- 「描写」の壁打ち: 執筆中に行き詰まった際、何気ない呟きからインスピレーションを得ることも多い。
- プロモーションの場: 投稿サイトのリンクを貼るだけではなく、物語の背景やキャラクターの裏設定を呟く。読者は「物語」だけでなく「作者のこだわり」に惹かれるものだ。
最後に
働きながら書く。それは、限られた時間を削り、削り出した命の一部を言葉に変える作業だ。効率は悪いかもしれない。プロの作家に比べれば歩みは遅いかもしれない。
けれど、社会の中で揉まれ、理不尽を飲み込み、それでもなお「書きたい」と願う会社員の筆致には、机上の空論ではない、泥臭くも美しい「生活のリアリティ」が宿る。
今日もまた、キーボードを叩く音が、部屋に響く。仕事で磨り減った心を、自らが生み出した言葉で癒しながら、私は明日もまた会社へと向かう。この二つの世界を往復することこそが、私の物語を、より深く、鋭くしてくれるのだと信じて。